Tactical Reload Alpha 1.3

いつのまにか、Tactical Reloadの1.3アルファ版が公開されていた。前に1.2が出てたらしいとは聞いていたけど、BCRとの競合問題が問題があったとかで取り下げられて以降の動向を知らなかったのでまず開発が続いていたことに驚いた。とりあえず試してみたので軽く感想と今後正式にアプデが来た時に想定される問題をメモしておく。

 

STSとの競合が解決した

STSとTRの競合についてはわりと根深い問題で、TR側でPatch対応したかと思えばSTSのプデでそれが機能しなくなりSTS側でPatch対応したとか、紆余曲折があったらしい。最近は両者の更新が落ち着いていたためにSTS側でパッチをオンにすればいい状態だったが、今回のTR1.3でどうやら特別なことをせずとも互換性が確保されたらしい。少なくともmod武器含むいくつかの武器で試した範疇ではSTSの機能でパッチONせずともタクティカルリロードが機能したし、手動リロード不能になることもなかった。すばらしい。

 

・リロード時にマガジン内の弾薬を落とす機能が追加された

Bitch(あらためて見ると非常にひどい略称だが公式がそう略してるからしかたない)の機能と同じ。試してないけどこっちはおそらくゲームパッド□ボタンリロードでも機能しそう。しかし弾薬が出現する位置が普通に視界の中。Bitchのそれがかなり下のほうで、見えないところに出現して落ちていったのに対してこっちは普通に銃の下あたりに出現する。なにもないところから急に弾薬箱が現れるのでかなり気になる。なのでこっちの弾薬落とす機能はOFFにしてBitchのほうを使おうとしたら、TRのマニュアルリロードがデフォルトになったせいかBitchのそれが機能しない。そもチャンバー+1のほうもよくみたら反映されてないので少なくともTR1.3はアルファの時点ではBitchと併用はできないらしい。これはまいった。TRのPostにすでにフィードバックしてる人がいたので正式リリース時にはなんとかうまいこと競合が解決してくれるといいんだけど。

 

気になったのはこんなところ。STSパッチ不要になるのはうれしい。NewGameのたびにMCMSettingManagerで一括ONにもできないパッチONにするの面倒だったし。けどBitchと競合するのは痛い。なので現状は1.1を使い続けるつもりだけど、正式リリースで解決するか、Bitchのほうのアプデで対応してくれたら1.3にアップデートすることにしようかな。

個人的ModTips③ Tactical Reloadまわりのメモ

Bullet in the Chamber(以下Bitch)のタクティカルリロードしたときにマグ内に残ってる弾薬が消える機能がすっごい魅力的だったので、長らく敬遠してきたTactical Reloadもついでに導入しようとしたらとんでもなく苦労したので記録メモ

 

問題

①リロードキーを押してもリロードできない

②リロードアニメーションが中断される

③StandAlone版向けのTRパッチをMarge版に適用する

④(Bitch)リロードしても弾薬が消えない

 

①リロードキーを押してもリロードできない

リロードはRキーに設定しており、TacticalReload(以下TR)側でマニュアルリロードをオフにしてるわけでもないのにキーをしても1人称では撃ち尽くしてのリロードしかできない。

これはSee Though Scope(STS)との競合だった。TR側にパッチがあるがいらないみたい。STS側のホロテープorMCMからTRパッチを有効にすればおk。

 

②リロードアニメーションが中断される

コンバットライフルとかハンティングライフルとかバニラのアニメを使ってる武器のリロードアニメが再生されずリロード不可になってしまった。調べると、RaceのAnimationSubGraphが競合していた。詳しいことはわからんがTRはAnimationSubGraph上ではPistol用のアニメデータを再生するように設定して、それをタクティカルアニメにすることでタクティカルリロードを再現しているらしい。そこが競合してつぶれてるのでTRのKeywardでピストル用のアニメを再生するよう指示してるのに参照先のデータへのパスがないので再生中断リロード不可、という感じだろうか。

自環境では独自アニメーションを追加するタイプの武器とかMcgFemaleWalkとかがバニラのそれをいじっており、さらにハンティングとかアサルトライフルのアニメーションもリプレイスしており多重競合を起こしていた。ぶっちゃけMcgFemaleWalk以外は競合しててもまったくわからなかったのでそれのロードオーダーを一番後にして対処してたが、ここで問題になった。

結果から言えば全部の要素をまんべんなく(今回はTRVanilaで追加されてるピストルアニメへのパスとバニラ武器のアニメリプレイサーがいじってる箇所、McgFemaleWalkでいじってる箇所を全部共存させてxEditで黄色背景に緑文字になる状態にする)パッチしたESPファイルを作成してそれを一番後ろに読み込むことで解決した。

あとおそらく独自モーションを使うMod武器がバニラのRaceデータいじってるのはDeleteしても問題ない。モーション自体はMod側のRaceSubGraphデータにあるっぽいのでそっちさえ残しておけば大丈夫っぽい。M1Garandとかは少なくとも平気そう。

 

③StandAlone版向けのTRパッチをMarge版に適用する

Bandle of TapeやらDOOMMargedやら、とくにesp-feが今ほど浸透してなかったころにリリースされてた武器modはわりとマージ版が出てたりする。もちろん今でもba2の節約になるし導入も楽ちんなのでそっちを導入するメリットはあるし現に自分でマージするのも面倒なのでありがたくマージ版を使っている。すると独自モーションを使う武器のスタンドアロン版向けにリリースされてるTRパッチがそのままでは機能しないのでなんとかする。

今回はDOOM氏のVSV、CBJ-MS、FN-FALに出てるTRパッチをマージ版に適用した。(他のTRが必要そうな武器はバニラアニメなのでTRVanilaを導入してKeywardさえ追加すればOK)

まずそれぞれのパッチをDLして展開する。当然StandAlone版のESPが親指定されてるのでとりあえずファイル名だけ合わせたダミーのESPを作ってxEditで読み込めるようにする。

あとはパッチのRaceとWeaponのレコードとMarge版のそれを見比べて足りない要素を足していけばいい。パッチESPに両方コピーすれば複数選択で見比べやすい。幸いAnimationMeshのファイル構造は変わってなかったので今回はこれだけで済んだが、そこが変わってたら合わせないとダメかも。

 

④(Bitch)リロードしても弾薬が消えない

Bitchではリロードと同じキーにホットキーを設定してリロード時にマガジン内の残弾が落ちるor消えるようにできるが、ゲームパッドでプレイしてるのでパッドのボタンではホットキーが反応しない。

仕方ないのでSteamの設定からパッドでリロードに使ってたボタン(今回はPS4なので□ボタン)を押すとキーボードのRキーが入力されるように設定して何とかした。ほかに□ボタンとRキーの役割が違う場面はたぶんないので平気だと思う。あったらどうにかする。L2押しながら□でRキー入力になるようにするのが安全かな。腰撃ちだと機能しなくなるけどまあ腰撃ちする場面は大体マガジン撃ち尽くすし平気でしょう。

※追記

問題大有りだった。VATSのクリティカルキーが□ボタンだった。仕方ないのでF4SEのCustomContollMap.txtからApplyCriticalをR1ボタンに変更して対処。

※さらに追記

□ボタンをRにするとコンパニオンのコマンドホイールの□に割り当てられているところが操作不能になる。普通のダイアログはXDI入れれば十字キーで操作できるからこれは盲点だった。しょうがないのでSteamの設定からパッドの十字キーをキーボードの↑←↓→に割り当て変更。貴重なボタンが4つも潰れることになるがとりあえず仕方ない。元よりWheelMenuのおかげでバニラのお気に入り機能は使ってなかったからいいけどボタンがもったいない。なにか解決策が思いついたらまた変える。

LAMB

 何の気なしに、ただ友人に誘われたのであらすじすら知らない映画を見に行くということを久しぶりにした。

 ここ数年、映画館で見にいく映画と言えば情報が出てから公開まで待ち続け、公開前に出る監督や出演者のインタビューなども舐めるように確認して、万全の状態で見に行っていたのでなかなか新鮮な気持ちになった。

 それで、今回ほぼ何も知らずに見に行った映画というのがこの映画、「LAMB/ラム」というアイスランド?の映画。

klockworx-v.com

 羊飼いの夫婦がある日、羊から生まれた奇妙な”なにか”を子供として育て始める─という説明だけはさらさらりと確認したが、カンヌの「ある視点」受賞作というのと合わせて、正直に言ってしまえば「んんー?」という顔になったのはまあうん。一応去年出品されてたという「ONODA/一万夜を越えて」という映画は有名な日本兵題材の映画だったのでついて行けたが、この手の映画は大体全編通して静かに、厳かに進む雰囲気映画(大いに偏見があることは承知)なので好みがわかれるものが多いと思う。

 ちなみに「ONODA(略)」はなかなかよかった。なにがって主演の俳優さんの役作り。写真で見た小野田さんそっくりだった。彼の御仁の半生を辿る映画に没入する上で非常に素晴らしかったと思う。

 話がそれた。今回はこのアイスランドの荒涼とした高原を舞台に羊飼いの夫婦を襲う奇妙な出来事の映画について、だらだらと書いていきたい。

話はわかりやすい

 ストーリーだけを超ざっくりと言ってしまえば因果応報である、と筆者は感じた。主人公夫婦は結果としては罪を犯し、その報いを受けることになる。この映画は1,2,3章と分割した場面で構成されており、時系列が切り替わるごとにそれが示されるのでそこで混乱することはない。まああくまで大筋を意図して大雑把に切り抜いたうえで圧縮した言い様であるから、これが適切な要約だとは思わない。しかし、おそらくだがこの映画が重きを置いているところはストーリーではないと思うので、それはこの際気にしない。

じゃあ重点が置かれているのは?

 そしてこの映画の重要な役割を担う夫婦が子供として育てるなにかとは、まあ大体察しもつくであろうからネタバレするが、半人半羊のクリーチャーである。おそらくだがこの子(アダと名付けられる)の家族模様がこの映画の描きたかったものであろう。ビジュアルは頭と右腕のみを完全に羊とし、それ以外は人間の幼児そのままで二本足で立って歩くという奇怪なものであり、言葉を選ばずに言えば不気味極まりない。実際に途中から登場するキャラクターはこれを気味悪がり、排除すらしようとする。しかし、最終的にはこれを認め、家族のように接するようになる。

 まあ、いかに見た目がかなり衝撃的とはいえ、主人公家族と一緒に遊んだり、お風呂に入ってる姿はなるほどカワイイようにも見えて…いや…うーん…。

 いやシュールだなやっぱり。とくに蹄の右手とヒトの左手で食卓にお皿を運んできたときとか不気味以外の何物でもなかった。

 上の感想は筆者の感想であるのでさておくとして、少なくとも主人公家族は彼(彼女?)を実子のように可愛がる。そのシュールな家族模様はこの映画の描きたかったモノのうち大きな比重を占めるのではないだろうか。

その一方で

 難癖をつけるが、その家族模様にしてもなんだかずっと不穏だ。夫婦がアダを愛しているように描かれてはいるが、どうもこの夫婦は過去に同じ「アダ」という名前実の娘を亡くしているようであり、それを特に妻の方は引きずっているような描写があった。夫もそれを察してこの「アダ(羊のほう)」を子供として受け入れたようにも見える。当然人間である夫婦が自らの子として育てるのであるから、人間としての扱いしか受けないのもちょっと気になった。草を食べそうになる場面があるがそれは引きはがしたし、また仲良く手をつなぐシーンにしても基本的に人間の手である左手側である。まあ蹄よりつなぎやすいだろうと言われたらそれはそうだが。

 そもそも、この羊アダを家族として迎えるにあたって、姿かたちはどうあれ自らの子と認識しそれを取り戻そうとした母羊、これを妻は撃ち殺している。アダを人間の子として扱うなら、いやたとえ羊の子であっても非道の誹りは免れない行いである。端的に言ってしまえば親を殺して子供を誘拐したということなのだから。そしてそれはアダどころか夫にすら秘匿されている。

 そんなところがどうも引っかかり、愛情深く見える家族団欒も歪なモノに感じられ、劇中にて評されたように、「お人形遊び」なのでは?という疑念はどうしても消えなかった。そして、そうして夫妻が結局羊のアダを通して過去の実子を見ていたからこそ、後述するラストの羊男が夫を殺しアダを連れて帰るという報いにつながるのではと考えるとしっくりくるというのもある。

最後の謎

最後の謎、というより最後まで謎だったのがこのアダを半人半羊として生まれさせ(明示されてはいないがそう考えるのが一番納得いく)、そして最後には夫婦の下より連れ去った(連れ戻した?)羊頭のマッチョである。結局これに関してはとくに謎が明かされることもなく、謎のまま終わった。鑑賞当時羊頭といえば悪魔であると勘違い(正確には山羊)していた筆者はどんな呪わしい結末が待ち受けているのか戦々恐々であったが、その逞しい肉体に猟銃を引っ提げてたもんだからちょっと笑ってしまったが、そのままフェードアウトしてくと笑いも引っ込んだ。

宗教映画?

 ぶっちゃけるとちっとばかし宗教の香りがする。ご多分に漏れずごった煮水割り宗教観で生きてきた罰当たり日本人であるところの筆者としては鼻につくな、と感じる程度には。決して映画の主軸ではないと思うが、それのモチーフが随所にちりばめられている。まずもって主役が羊飼い、さらに名前はマリアである。夫婦に言わせれば神からの授かりもの、ということであの羊人。マリアの処女受胎?(かといって今作のマリアが無原罪かというとそんなことはないと思うが)宗教とか神話の要素はある種完成されているというか、分解するとそれの要素が濃くなる映画はままあると思うが、分解せずとも感じさせられるとなんかこう、気になる。「ザ・ウォーカー」ほどはうんざりしなかったけど。

 主人公夫妻が経緯や自覚はどうあれ、親を殺して子を奪うという大罪を犯し、それに相応しい報い、まったく同じ仕打ちを受ける…という筋書きなのがそう感じさせるのだろうか。

結局?

この映画は終始不気味で重苦しいが、ホラー? スリラー? そのどちらにも分類しがたい。カンヌの「ある視点」賞とは

あらゆる種類のヴィジョンやスタイルをもつ、「独自で特異な」作品群(Wikipedia)

であるというが、なるほど確かに独自で特異だ。それほど多く映画は見ていないが、これまでに見たどんな映画とも異なる雰囲気の作品であると断言できる。奇妙で不気味、でもどこかに愛を感じなくもない(個人的にはナシより)作品。普段とは一風変わった、ちょっと肌寒くなってきた季節にしてみる不気味な映画体験にはなかなかよかったかもしれない。たまにはあまり見ないジャンルの映画も見てみるものだ。

Cyberpunk:Edgerunners(と原作のゲームについて)

サイバーパンク2077というゲームがある。もとはサイバーパンク2020というTRPGで、その世界観と設定を下敷きに「ウィッチャー」シリーズのCD Project REDが手掛けるオープンワールドゲームだ。2013年だったかな、だいぶ昔に情報がE3かなんかで公開されてから筆者がずっと発売を心待ちにしていたゲームであった。

あった、という過去形なのはとうにそのゲームは完成(?)し、発売までこぎつけているからだ。具体的には2年以上前の2019年に。まあそれだけではないが今は置いておくとして、今回はそのゲームを原作に「天元突破グレンラガン」「キルラキル」「プロメア」などで名を馳せるあの「TRIGGER」がアニメ化した作品「サイバーパンク:エッジランナーズ」の感想…とそれを見て改めて感じた原作ゲームについての所感をぐだぐだと述べていく。

www.cyberpunk.net

 

サイバーパンク:エッジランナーズの感想

サイバーパンク:エッジランナーズは王道ボーイミーツガールものである

まず、簡潔に序盤のあらすじをまとめる。国家をしのぐ規模にまで巨大化した大企業が牛耳り、貧富の差がすべてを決める街であるナイトシティ。

その一番の企業であるアラサカ社のアカデミーに通う少年、デイビッド・マルティネスは限られた富裕層のみが通うことができるエリートスクールであるアカデミーに、恵まれない生まれでありながらも通い、ある程度優秀な成績を修めていた。金持ちの上流階級の子息であるクラスメートとは馴染めず、嫌気がさして母親と衝突することもあったが、片親ながら高額な学費を納め、才能のある息子がアラサカの社員として安定した暮らしをすることを夢だと語る母の前にいつも矛を収めていた。

しかし、ある時に母親がギャングの抗争に巻き込まれ死亡してしまう。デイビッドの学費や、そもそも高額なナイトシティの生活費で常に自転車操業であった家庭に貯金などなく、デイビッドは母の喪に服する間もなく家すら追い出されてしまう。

一瞬にしてすべてを失ったデイビッドだが、母が遺した遺品の中から軍用の強力な身体強化インプラントを発見し、それを自らにインストールしてしまう。そして、それに目をつけたルーシーという女に出会い、彼女と非合法な仕事を共にするようになりデイビッドの人生は一変していく。

 

全然簡潔にならなかった。とかく貧困家庭(NC比)に生まれながらも温かくわりと普通に育てられたデイビッドという少年が転落して悪辣なナイトシティの現実を知り、そこからなんとか足掻くということと、そこにルーシーという女が大きく影響を与えるということが大事だ。

 

結局この項で書いておきたいことは、この作品はネオサイタマもニッコリの暗黒メガコーポ蔓延るマッポーめいたナイトシティ(そういえばニンスレアニメもTRIGGER、もっかいちゃんと作らない?)で、驚くほど王道かつピュアなボーイミーツガールものをやっているということである。サイバーパンクといえば人とテクノロジーの融合やそれによる社会の変容などが重要なテーマに挙げられる(諸説あり)と思うのであるが、少なくともこの作品は堂々とサイバーパンクと題に冠してありながらそのあたりは二の次だ。決して軽視しているわけではない。後述するがちゃんと重要な展開の1つとしてある。しかしあくまで主題として据えられているのはデイビッドという少年がルーシーという女に出会いその人生を大きく変えていく様であると見た。PVにも出てくる

この世界で名を残す方法はどう生きるかじゃない、どう死ぬかよ

というセリフからもそうトンチキなことはいってないんじゃないかと勝手に思っている。これはネタバレだが(反転)6話以降のデイビッドとルーシーの互いに思い合うが故にすれ違ってゆくところなんてイマドキ珍しいくらいの純粋な男と女の話じゃないか。

なんだかまるで否定してるような書き方になってしまったが、決して否定はしていない。退廃極まるナイトシティでやるからこそ輝いて見えるし、より印象的になると思う。そも先ほど宣ったサイバーパンクは人と技術が云々なんてのはもう80年代から世界中で散々やりつくされてきたいわば使い古しのテーマである。今更やったところで喜ぶのは死にながら生きてるカビの生えたSFオタクだけである。事実この作品はゲームやってない人にも受けてるようであるし、(執筆時点でNETFLIX日本5位)大正解のテーマだったのだろう。

もちろんSFオタクにもうれしいテーマも

先にボーイミーツガールが主軸であると述べたが、もちろん、ちゃんとサイバーパンクアニメとしてのテーマもある。「サイバーサイコシス」という、インプラントを入れた人間が発狂する病気についてだ。

TRPGではどういう扱いかまでは知らないが、ゲーム本編にも登場している設定だ。しかしゲームでは討伐対象の敵Mobとして登場するというのが主なところで、細かいところはフレーバー程度だったように思う。今作ではそこにメスが入り、ナイトシティにおいて底辺から成りあがるにあたって必須といえるインプラントと、そこについて回るサイバーサイコシスとして発狂して凶暴化するリスクの話が第2の軸としてある。この世界においてインプラント強化とは、「人間性コスト」というイカにもなものを代償として支払うことになるらしい。インプラントを入れる、また使用するにあたって人間性コストをどれほど支払うことになるかは個人差があるらしく、またデイビッドはそれが少ないために、屈強な軍人でもすぐに発狂する劇物である超強力な軍用インプラントを使用できる、というところから物語が動いていく。

テセウスの船と言うが、ある人Aが体のほとんどを別のものに入れ替えてしまったらそれはある人Aと呼べるのか、という話。このサイバーサイコ問題においては体をインプラントに置換するごとに人間から遠ざかっていく、ということだろう。

ちょっと、というよりだいぶネタバレになるので嫌な人やもし本編を見てない人はさっさとブラウザバックして素晴らしい本編を見てきてほしい話をするが、デイビッドの師匠兼父親のような人物として登場するメインというキャラクターが物語の中盤でこれを発症する。サイバーサイコシスとなり果てたメインはおそらく若いころ、ナイトシティのサイバーパンクになる前の原風景であろう砂漠を彷徨う幻覚を見ることになるのだが、身体改造の果てに人間性を失い凶暴化してから見る風景が人間だったころの幻覚とういのは実に皮肉である。最終盤ではインプラントへの耐性が高いのをいいことに身体のほとんどをインプラントに置き換えたデイビッドもこれを発症するが、彼もまだ母親と暮らしていたころの幻覚に侵されることになる。

しかし、このテーマも小難しいSFや哲学の話に依りすぎることはなく、今作においてのこのテーマ自体は主人公デイビッドの暗喩ともいえるだろう。

デイビッドは母親と暮らしていたときから、その行動原理に自我がない。序盤では母の夢のため、中盤からはメインの夢、最終盤ではルーシーの夢もそれに加わるが、結局最後まで自分に由来する理由によって行動することはなかった。デイビッドは最後まで他人の夢のキメラに過ぎなかったのである。もちろん彼らの夢を叶えたい、とすればデイビッドの夢でもあるし、本人もそう言っているが、ルーシーが最序盤に評したように

それって結局他人の夢じゃん

ということである。インプラントまみれになって人間性を失うデイビッド、他人の夢の集合体となってその命を燃やし尽くしたデイビッド、なるほどつながっているように見えてこないだろうか。それは結局デイビッドの夢なのか?

彼をそう評したルーシーも最終的には自分の夢よりもデイビッドを案じるようになるのであるが、最期までデイビッドはルーシーの夢のために生きた。そのすれ違いも美しいものじゃないですか。

高みを目指して派手にくたばれ

夢、というワードは今作の、というよりこのサイバーパンクという作品全体においても重要なキーでないだろうか。

人は当然、生きるからには上を向いて、夢をその胸に抱いて生きるものである。(と筆者は思う)見果てぬ夢、という言葉もあるように。

デイビッドはとかく、母グロリアはデイビッドの幸せ(としての出世)、メインはナイトシティのテッペンに(ゲームのV、そしてジャッキーもこれだろう)、ルーシーは月、というように登場人物の多くはその夢や野望のために大なり小なり動いている。

この作品の舞台であるナイトシティにおいて安定という選択肢は存在し得ない。行くとこまで行った超資本主義がまかり通るナイトシティはちょっと足を踏み外せばそのまま転落ルートまっしぐらだからである。最初に主人公デイビッドに身の丈を説いたタナカくんも親父の死後は身の丈が大きく変化することになっただろう。デイビッドのようななんとか中流といえるところに足をかけていた者も、ライフパスでコーポを選択した場合のVのようなカチグミであっても、少しのきっかけで底辺まで転がり落ちることになる、それがナイトシティである。そのため、人々は常に上昇志向で生きねばならないのであるが、そうした弱者の夢や野望を踏み砕いて強者がさらに上へ行くのもナイトシティではありふれた話である。

ナイトシティで安定に落ち着くことは難しいが、身の丈以上の夢を見た者はほぼ例外なくその代償を払うことになる。だからこそ、サイバーパンクの間ではどう生きたか、というよりも夢や理想のためにその命を散らす、「どう死ぬか」が語られるのである。さて、劇中でも登場し、ゲームでもよく立ち寄ることになる「AFTERLIFE」という酒場では、その死にざまが語り草となる「伝説」にちなんだカクテルがある。「デイビッド・マルティネス」というカクテルのフレーズこそ、「高みを目指して派手にくたばれ」である。ちなみにこのカクテルはアニメ配信前からゲーム内で売られていたという。そのためゲームプレイ済みの人でこのカクテルを覚えていた人は主人公の名前の時点で何かを察することになったとか。

ゲームプレイヤーをくすぐる完全再現ぶり

こうしてデイビッドが派手にくたばる生きざまを描いたエッジランナーズであるが、その舞台であるナイトシティの完全再現ぶりも素晴らしかった。なんせ劇中に出てきたロケーションの殆どはゲームを一通りプレイしたものなら「アレ? ここって…」どころか「あ、これあそこじゃん!」と一発で断定できるほどにゲームそのままで登場したのである。我々がVとして駆け巡ったナイトシティでデイビッドを始めとしたエッジランナーたちが生きている、と理屈でなく目と心で感じることができるのである。ロケーションだけでなく効果音から何から、完全にナイトシティがアニメになってそこにあったのである。慣れ親しんだブリーチプロトコルのUIを用いてセキュリティを突破し、耳慣れたホロコールに応えてワカコとやりとりし、デラマンのサービスが利用され、親の声より聞いた銃声でドンパチして、ゲームで聞いたラジオの音楽が流れるのである。世界への没入という点ではこれに勝る作品は存在しないのではないだろうか。よく見知った近所がロケ地となっているドラマを見るような気分とさえ言っている人もいるほどで、筆者としても同意できる。それほどにゲームそのままのナイトシティだった。

超余談だけど、尿バグ拾ったっぽいやつ面白かったよね。その後がアレだけど

TRIGGERとCDPRの完璧なバランス

本編についてはこのくらいにして、製作についての話をしよう。エッジランナーズ公開に際して公開されたインタビューにて、「脚本ドーン!設定ドーン!これで作って!絶対面白いから!」て感じのCDPRと「いや!アニメにするならこうだ!」のTRIGGERでわり(2年)と意見のぶつかり合いがあった(超要約)らしいことが明かされていた。

game.watch.impress.co.jp

記事によればとくに意見の違いが出たのがレベッカのデザインらしく、お出しされた本編ではわりとJapanese KAWAII(ナイトシティナイズ)な感じのデザインになっているが、これには当初CDPRがかなり難色を示したらしい。気持ちはわかる。そもそもの原典がわりとハードボイルド路線だし。本編での活躍はTRIGGERが喧嘩してでも押し通したのも納得の「ああ~TRIGGERだな~」というキャラクターだが、結果的には日本でも海外でも大受けなキャラになったのを見るに流石にヒットを飛ばしてきたTRIGGERの慧眼、というところだろう。しかし通に言わせればTRIGGERの原作付きアニメはこれまであまりよいイメージがなかったらしく、その壁を乗り越えたのもCDPRとTRIGGERの熱意がぶつかり合っていい感じに折り合った結果なのかもしれない。といっても筆者自身はTRIGGERの原作つきアニメを知らない、と書こうとしたがニンスレがあった。なるほどそうか。いやアレはそういう話じゃないか。

それはさておくとして、筆者のあまり深くないTRIGGER歴においても、わりとTRIGGERのアニメは情報を教えてくれるのではなく叩きつけてわからせてくるイメージがある。ちょっとなにを言ってるのかわからないが、考えるな、感じろ、というか。そんな雑というわけではなく丁寧ではあるんだけど。とにかく「サイバーパンク」のアニメは色合いはともかくとして向いてないんじゃ?と思ったことはあった。実際お出しされた本編もわりとそういうところはある。プレイ済の人やサイバーパンク好きには通じるだろうが音だけだと疑問符満載なこと間違いなしな「Intruction Countermeasures Electronics」こと「ICE」とか、サイバーウェアを特に説明なくいろんな名前で呼んだり、BDとかそのへんを出してくるあたりがそうだと思う。まあこれは公式の用語集読んでね、ということなのかもしれないし、実際そのあたりにただでさえ不足気味の尺を割いてたらここまでの傑作にはなっていなかっただろうから正解だと思う。

またそのあたりの説明すっ飛ばして、理解しなくても見られるとは思う。描写でわかるし、わからなくてもなにをしてるかは大体わかる。それに、「だいたいなんとか」程度でも世界に浅さを感じることは決してないと思うし、それはあの事細かなルルブをゲームに昇華してナイトシティを作りあげたCDPRの設定のなせる業だと思う。

つまり面白いの?

なんだかんだくどくどと書き連ねてきたが、サイバーパンク:エッジランナーズは最高に面白かった。近年見てきたアニメの中では五本の指、いや最高峰と迷うことなく言える。

世界観やストーリーはこれまでにいろいろと訳知り顔で抜かしてきたので割愛するが、ナイトシティのあのドギツいギラギラした雰囲気はTRIGGER(というか今石監督なのかな?)の色使いにばっちりマッチしており美術面でも魅力たっぷりだし、アクションも主人公の時間加速の特殊能力がカッコよく表現されている。退廃近未来メトロポリスたるナイトシティを地上波ではなくNETFLIX独占だからこそエログロ全開で描き切っており、だからこそピュアなボーイミーツガールというメインストーリーが映えるのだ。こんな素人の書き散らしに目を滑らせるより、実際にその目と耳と心でナイトシティに飛び込んだ方が話は早い。一刻も早くナイトシティに向かおう。

ただ1つだけ言うならば、サイバーパンク世界について全く知らないと没入するのが難しいかもしれない。まあそれも最初だけの話だと思うが、最初でハマれなければ切る人も多いだろうから、それはあまりにももったいないということでせめて公式の用語集には目を通して、欲を言えばどのハードでもいいからゲームを買って一通りナイトシティを観光だけでもしてから見ると面白さ2077倍だと思う。

アニメ見てゲームについて思ったこと(余談)

さて、ここまでエッジランナーズを大絶賛してきたわけであるが、ここからはその原作である2077について話をしたい。冒頭にも書いたとおり筆者はこのゲームは発表当時からとっても楽しみにしており、発売日を一日千秋の思いで待ち続けていた。自分語りをするが、筆者はサイバーパンクが大好きであるがサイバーパンク全盛期は知らない。その概念に触れたころにはすでに過去のジャンルであった。このゲームの原作のるるぶも今や日本語版の良品なんてプレミア価格で到底手も出なかった。今回新しく出るREDはぜひとも手に入れたい。ともかくいわゆる ”近未来SF” の世界がもはやレトロフューチャーと化して久しい現代においてはサイバーパンク、というよりSFが下火であると言わざるを得ないだろう。そんな中で名の知れたデベロッパが気合入れてつくるサイバーパンクゲーム、しかもあのウィッチャーを送り出したCDPRがだ。期待しないわけがない。当然発売日が決まった瞬間に予約(そういえば延期あったな)購入してその日に遊んだ。我々は6年も待ったのだ。

しかしそれほど心待ちにしていたのにも関わらず、実際のところそこまでハマらなかった。当時の筆者としては非常に理解しがたく、また悲しいことに。CS版、特にPS4が割と重大なバグの嵐で大荒れしていたのは悲しかったがそれとはまた別の話でだ。たしかに筆者もPS4版で購入したがそれはPS4版で購入したのが悪いのである。あの当時のPCでもわりとハイスペックを要求されるオープンワールドゲーがPS4でまともに遊べるわけないだろう。CDPRの対応は詳しくは知らないがそも発売延期もPS4のためのダウングレードが上手くいかなかったのが原因なんて話もあるくらい。それを調べもせずPS4で買って大騒ぎになるんだからあほな話だ。

話がそれた。とかくPS4版で購入したのとこのゲームにそこまでハマらなかったのはそこまで関係ない、と思う。バグの嵐はベセスダで慣れた。ベセスダと違うのはそもそもゲームの世界に引き込まれなかった。不思議だった。夢にまで見て待ち望んだゲームで、ストーリーやゲーム部分はともかくとしてオープンワールドで作られたナイトシティの作りこみ、こだわりは見事この上なかったし、期待以上の出来だった。でもなんかハマんなかった。当時は本当に不思議で仕方なかった。

そんなもやもやをわりとずっと引きずってきたのだが、このアニメを見てそれが氷解した。ただ自分がカビの生えたSFおたくだったと言うだけの話だった、というか求めてたものが違ったのだろう。結局のところ自分の理想がブレードランナ―(1982)だっただけで、それとは違うアプローチに勝手にがっかりしてただけだと思う。このゲームのメインテーマは情報だの技術だのあくびが出そうなところにはなく、退廃的な都市でそれでも上を向いて日々を生きる人々の生きざまだったのだろう。そりゃブレードランナ―みたいなじめじめした内向的なの期待してるのにトンだ街でも前向きに生きる人々と街を見ろって言われたらコレジャナイと思おうものだよな。ボクはずっと追ってきた~だの発売前に調べないヤツは馬鹿~と散々こき下ろすだのしときながら自分はこれなんだから涙が出てくる。オマエは何を見てきたんだ。

実際、アニメ見てからそういうものだと理解して遊んでみたら楽しかった。2年前あんなにハマらなかったのが不思議なくらいに。もちろんCDPRがパッチを重ねてゲームを遊びやすくできるように努力してるのもあると思うが、ナイトシティの人々の物語を素直に楽しむことができた。

そういう意味でも改めてエッジランナーズのアニメに感謝したい。2年越しの妄執を取っ払ってようやくちゃんとサイバーパンク2077を遊ぶことができる。先のアップデートでエッジランナーズ関連の追加もあったようだし、この先にさらなる追加コンテンツもあるという。それはPS4には対応しないそうなので、思い切ってハードも新調して初めから遊んでみるのもいいかもしれない。ああ、楽しみだ~。

個人的ModTips②

 半年くらい前から地味に頭を悩ませている問題があった。武器のテンプレートを追加してレベルドリストでそれを指定してNPCに持たせようという試みで起きた問題である。

 見ての通り指定したテンプレートでインベントリに追加されてはいるものの、武器の名前がおかしい。CombinationのNAMEに指定した文字列に武器名が変わってしまっている。弾薬が2種追加されてるのも気になると言えばなるがまあそれは気にしなければいいので問題はない。どうせ自分のための改造だし。とはいえさすがに武器名が変わってしまうのは気にしないというのも難しい。このBOSのPA兵士に重火器を持たせる試み以外にもレールロードヘビーにコモン版デリバラーを作って持たせる試みも並行してやっていたがこちらに至っては「Default」になった。デリバラーそのままコピーしてレジェンダリ効果消してるだけのはずなのに…。

 いろいろ考えてもこの問題が発生した当時は結局解決できず、倒した連中の妙な名前の武器は見なかったことにして解決()した。くやしい。

 それで、今記事を書いてるのはとりあえずこの問題が(偶然)直ったっぽいのでその経緯を書いておく。後々なにかの役に立つかも、ということで。

 

①武器名変更問題が起きたまま放置していた自作espをComplexItemSorterにかけたら「B.O.S」やら「Default」のままアイコンがついた

②レコードを確認すると元の武器名でなくCombinationに設定したNAMEにタグが付いてた

③この問題武器たちと同様の方法でタグが付いてたのがバニラ武器のマチェットにDLCでCombinationを追加してできてるっぽい「クレンヴの刃」

④ほかの武器とか見ててここはCombinationの名前を書くとこだと勘違いしていたけど、そのCombinationを使用した武器の上書き名(LLのOverrideName的な)を指定する奴だったのでは?と気づきNAMEのレコードを消してみる

➄うまくいった。ちゃんと元の武器名にINNRに沿って改造状態がくっつくようになった。ついでにアイコンもちゃんとついてる

 

 改めて並べるとこんな簡単なことに半年頭を悩ませていたのか。非常に悲しい。よく考えてみればNAME FULLってWEAP FULLになるのか。しかし、解決したのはいいが結局ほかの武器のテンプレートで「シンプルライフル」とか「セミオート」とか書いてある同じ箇所に書いてあるやつがなぜその名前にならないのかは結局わかっていないので根本的には解決してない。まあまた新しい問題が起こるまではとりあえずこれでいい。ぱっと見正常に動いてりゃそれでいいのだ。

Knock Knock

アナ・デ・アルマスという女優さんがいる。007/No Time to Die でボンドガールやったり、7月にはマリリンモンローを描く映画でマリリンモンローとして主演を張るなど、最近一気にハリウッドのスターダムを駆け上がっている女優さんだと勝手に思っている。

この女優さんがまあ~美人。ほんとうに美人なのだ。なんでも世界の美人ランキング第9位なんだとか。信憑性とかどこ視点なのかとかは知らないが、そう言われてもへえ~まあそうだろうなあと納得できてしまうくらいに。彼女を初めて映画で見たのは2017年のブレードランナ―2049なのだが、主人公の彼女(なおホログラム)というなかなか特殊な役で出演していた。しかし本当に魅力的で、本編を見終わった後には余韻も感想もそこそこにあの美人さんはいったい誰だろう…とすぐに調べたことをよく覚えている。(これだけ書くとなんだかブレードランナ―本編がアレみたいに聞こえるが本編もしっかり面白いのでぜひみてほしい)

とにかく大事なのは、最近注目している(個人的に)女優さんがいて、その彼女がとんでもなく美人ということである。

人生で初めて女優に釣られて映画を見たくらいには。

ということでようやく記事タイトルの映画の話をするが、「ノック・ノック」(邦題)という映画を見た。主演にキアヌ・リーヴス、ヒロイン(ヒロイン…?)にアナ・デ・アルマスとロレンツァ・イッツォという布陣だけ見て視聴を決めた。あらすじもなんにも知らず、せいぜい流し読みである。

”それは破滅の道への第一歩だった”(Amazonあらすじから一部引用)

ほんとだよ。

 

感想としては最悪だった。本当に最悪だった。決してつまらなかったわけではないが本当に最悪だった。監督がイーライ・ロス(胸糞映画界隈では有名な御仁らしい)の時点で察するべきだったらしいが知らなかったんだからどうしようもない。むしろだれか教えてくれ。それ知ってたらさすがに釣られなかった。最後まで見たしつまらない映画ではなかった。これはほんと。しかしもう一度見ようとはいまのところ思わないし、これからも思わない、たぶん。

 

www.amazon.co.jp

 

以下あらすじ引用

”家族思いの献身的な父親・エヴァン(キアヌ・リーブス)は週末に仕事の都合で一人留守番をすることになる。その夜、ドアをノックする音がし、開けるとそこには雨でずぶ濡れになった二人の美女が立っていた。ジェネシスロレンツァ・イッツォ)、ベル(アナ・デ・アルマス)と名乗る二人は道に迷ってしまったため助けを求めていた。彼女たちに暖をとるように招き入れるエヴァンだったが、それは破滅の道への第一歩だったー”

 

もうあらすじ読めばわかると思うがよき父親キアヌが獣と化してしまいそのツケを払わされる映画である。実際あらすじ流し読みしたときにはそのくらいの認識でこの映画を見ようと思った。

問題はそのツケの払わされ方がちょっと尋常じゃないのである。もうサイコホラーじゃあんなの。イーライ・ロス監督の映画ではスプラッタでないぶん見やすい方らしいが、その分精神にくるものだったのではないだろうか。見るのがつらくなって「あとどのくらい見れば終わるんだろう…」とシークバー確認したのは初めてだ。あまりこういう、男女のあれこれが絡むタイプの映画を見ないというのもあるが、率直に言ってきつかった。

しかし最後まで見られたのは、結局のところその尋常でないお仕置きの嵐もキアヌの(キアヌではない)自業自得だから、という点に尽きる。ここからネタバレも交えての感想をぶつくさと綴っていこうと思う。

 

 

 

映画が始まると、円満な家庭でよき父親として過ごす主人公の姿が描かれる。自らは建築家、奥さんは芸術家のクリエイティブ夫婦で、お子さんも2人いる。家も庭付きで大きい。(これはアメリカ基準だとどうなのかは知らないが自分の感想なので)順風満帆である。そんな幸せ家族は父の日はビーチでバカンスを楽しむ予定だったが、主人公に急な仕事が入り、父の日は男ひとりで寂しく過ごす羽目になってしまう。成功した芸術家である妻は忙しく、主人公とはしばらくご無沙汰。バカンスで久々に、といったところだろうがそれもなくなって、せめて出発前に、というところだったがそれも子供たちが起きちゃったので中断。主人公が若干の不満を漏らすシーンがあったが、最終的には納得して子供たちと遊ぶ。

ここまではよくいる”幸せな家庭のよき父親”である。しかしその夜、降りしきる豪雨の中ひとりで寂しく仕事する主人公の家に、美女2人がずぶ濡れでやってくる。目的地にたどり着けず携帯も使えないという彼女らに電話を貸してやり、車を呼んでそれが来るまでは家においてやる…ここまでもまあまだ善人である。

しかし雲行きが怪しくなってくるのはここからで、妙に距離感が近く、開放的な美女2人に次第に主人公もデレデレし始めてしまうのである。もちろん妻帯者であるから、女2人に密着されて座るかたちになったらそこを離れて別の椅子に座るなど、初めはしっかり距離を取ろうとした主人公だったが、次第に昔取った杵柄とばかりにDJを始めたり、おだてられてちょっといいカッコをし始めてしまう。呼んだ車が到着する直前、一夜の秘密だから、とついに迫られた主人公は、それでも拒否して2人を帰らせようとする。乾かした服に着替えさせるべく浴室に2人を押し込んだが、一向に出てこないので様子を伺いに入ったところ、そこでは裸の美女2人が主人公のベルトに手をかけて…。

しっぽり楽しんだ翌朝、起きるとベッドには自分ひとりで、あれは夢だったのか?と思いかける主人公だが、リビングへ向かうと人の家の食材を勝手に使って乱痴騒ぎをする昨夜の女たち。ここで自分の失敗を悟った主人公は2人を追い出そうとするも時すでに遅く、豹変した女たちによりひたすら苛め抜かれる…というのがおおまかな筋書きだ。

 

やらかしたあとには文字通りなにもかも奪われる勢いでいじめ抜かれ、あまりにも大きすぎる形で過ちのツケを払わされる主人公だが、そのシーンが本当にきついのだ。

でも最後まで見てしまったのは、主人公に同情してしまったからだろうか。まずあんな目の覚めるような美女に迫られれば、という男なら誰しも抱き得る同情もあったが、そもそも自分のこの作品の鑑賞動機がアナ・デ・アルマス目当てである。実際序盤の美女たちが主人公を誘うシーンは自分もすっかり鼻の下を伸ばして見ていた。(ここまで悪趣味な映画とは思ってなかったし)まったく主人公をバカにできない。なんだか余計に同情して見ていたし、途中で見るのをやめることもできなかった。

特にキツかったのが芸術家である主人公の妻の作品を引き取るべくやってきた主人公の友人が、女たちによって行われた作品への破壊行為に動揺して喘息の発作を起こしてしまうところ。女たちの悪辣さを知る主人公は作品よりも友人を案じて逃げるように言うが、それでも作品を守るべく戻った友人があまりの非道さに発作を起こし、それを抑えるべく薬を探すが、その薬は女たちの手の中、なんとか取り返そうとする友人を散々弄ぶのである。挙句息も絶え絶えの友人は足がもつれて転んでしまい、セメントでできた作品に頭をぶつけて死んでしまうのであるが、女たちはその上で狂笑をあげる。このシーンが一番きつかった。

自分の過ちがもとで無関係の友人すら失うというのもきつかったし、人の大事なモノを躊躇なく破壊して、その行為が遠因で死んだ人の上で笑い合うサイコ女もきつかったし、それに主人公が拘束されていたとはいえなにもできないのもなかなかきつい。あの大アクションスター、キアヌリーヴスが主人公だったのも余計に拍車をかけていた気がする。他作品でこうした悪を蹴散らす姿を見ているだけに、なすがままに苛め抜かれるキアヌリーヴスというのはなんだか見てて辛かった。

ほかに印象的だったのは、ラストのFacebookのシーンだろうか。生首だけ地上に出る形で生き埋めにされた主人公の目の前には、自らの痴態を撮影した動画が自分のFacebookに投稿された状態のスマホ。当然非難するコメントが大量に来るその投稿を削除すべくなんとか指だけ地面から這い出してスマホをつつくも、押せたのは”いいね”ボタンというシーンだ。なんかもうここは乾いた笑いが出た。悪趣味極まりない。

しかし結局のところ、主人公の受けるひどい仕打ちは元はといえば自分の過ちが原因なのである。よい父親で、家族を愛していたのに、散々に煽られて、先に手をかけたのも相手の方からとはいえ、情欲に身を任せ耽ってしまった。そのことがこの悲惨な末路につながるのである。細かいところではFacebookも「ログアウトしてないから悪用されるのよ」とご丁寧にもサイコ女が教えてくれる。妙に現実感ある忠告を残さないでほしい。おかげで先述の同情の理由もあって、フィクションとしていじめられるキアヌを楽しむとかそんな余裕でてきやしないしひたすらダメージを受け続けることになってしまった。(これは勝手)

見終わったときには女優に釣られてみたことを死ぬほど後悔した映画ではあるが、決して駄作ではなかった。面白かったとか楽しかったとは口が裂けても言えないが、興味深い…ともまた違うしなんといえばいいのだろうか。よく読後感がいいとかいう誉め言葉もあるがそれも最悪であるし、つまんない映画では絶対にないがどうほめればいいのかわからない、そんな映画だった。あとどんな役柄でもアナ・デ・アルマスは確かに美人である。マリリンモンロー楽しみ。

 

最後に余談だが、なんとこの映画の監督であるイーライ・ロスとサイコ女の片割れを演じるロレンツァ・イッツォはご夫婦とのことらしい。大丈夫なのかそれは。奥さんを自分の映画に出演させるのはよくあると思うが、この映画でいいのですか。ヌードあったけど。あともう一つ、この映画、監督脚本はもう何度も名前を出している(あまりに強烈すぎて二度と忘れないと思う)イーライ・ロスであるが、製作総指揮には徹底して苛め抜かれる主人公であるところのキアヌ・リーヴスも名を連ねている。自分が指揮して自分をいじめ倒す映画撮るって、どういう心境なんだろうか…。

新しいCHIBAユニフォーム

 なんにちも前からまるで浮かれる高校生のインスタのように公式Twitterで告知されていた新発表の正体とは、新しいCHIBAユニのデザインのことでした。今年は千葉に移転して30周年ということで、なんとロゴも新デザイン。

 

 初めて見たときはおお、グレー!なつかしのジョニーや小宮山を思い出す!と一瞬盛り上がったが、どうもこのCLMのロゴが気に入らなくてもやっとしたような気がした。

気がしただけだった。見れば見るほどシックでカッコいいデザインじゃありませんか。そもそもどうも最近老いてきたからか元の性分か、なんでも否定から入りがちなのだ。意識してフラットな視線で見れば実にロッテらしい、どこか懐かしい色合いのユニフォームにあった雰囲気のロゴだと思う。

 そんな風に己の中でロゴに関してはどうでもいいひと悶着があったものの、ユニフォームのデザインに関しては何の文句も出ないカッコよさ。CHIBAユニ史上最も洗練化された、のう謳い文句は伊達じゃない。ちょっと前にアロハユニで試合してたチームのユニフォームとは思えない。強いて言えばパンツが白なのがちょっと気になるけど、なんでもぶつくさ文句を言うのはオタクの悪いところだ。既にかっこいいんだからいいじゃないか。

 なによりそういうダメなオタクであるところの筆者はユニフォームに赤が入っていないほうが好きなのだからその点でもこの新ユニフォームは花丸だ。100点満点中120万点。好みドンピシャ。久しぶりにユニフォーム買おうと思う。それにしても去年のブラックサマーウィークエンドに続いてまたカッコいいユニフォームが続く。デザイン担当が変わったのかな?と思うくらい。この調子でタオルももうちょっと買いたくなるデザインのやつ出してくれないかしら。いや買うんだけれども。選手タオルにしたって「福田 光輝」てドドンと書いてあるのはまあ誰を応援してるかわかるって点ではいいのかもしれんけど、もうちょっとこう…字体とかさ…

 また文句ばかり。切り替えて他の話をしよう。告知画像の話。投手から小島、野手から安田と山口。ついに山口がこういく告知画像に!他にも出てたらごめんだけど、自分でしっかと確認したのはこれが初めてなのでなんだか感慨深い。他の2人も「これからのロッテ」て感じの2人だし、やっといろんな意味で世代交代に成功しつつあるのかもしれない。移転30周年、というメモリアルなユニの告知にこれからを担う若武者たちが起用されるのっていいねえ。

 新しいCHIBAユニは今日の19時から販売開始。届くのは早くとも3月下旬頃だそう。待ち遠しい~!