LAMB

 何の気なしに、ただ友人に誘われたのであらすじすら知らない映画を見に行くということを久しぶりにした。

 ここ数年、映画館で見にいく映画と言えば情報が出てから公開まで待ち続け、公開前に出る監督や出演者のインタビューなども舐めるように確認して、万全の状態で見に行っていたのでなかなか新鮮な気持ちになった。

 それで、今回ほぼ何も知らずに見に行った映画というのがこの映画、「LAMB/ラム」というアイスランド?の映画。

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 羊飼いの夫婦がある日、羊から生まれた奇妙な”なにか”を子供として育て始める─という説明だけはさらさらりと確認したが、カンヌの「ある視点」受賞作というのと合わせて、正直に言ってしまえば「んんー?」という顔になったのはまあうん。一応去年出品されてたという「ONODA/一万夜を越えて」という映画は有名な日本兵題材の映画だったのでついて行けたが、この手の映画は大体全編通して静かに、厳かに進む雰囲気映画(大いに偏見があることは承知)なので好みがわかれるものが多いと思う。

 ちなみに「ONODA(略)」はなかなかよかった。なにがって主演の俳優さんの役作り。写真で見た小野田さんそっくりだった。彼の御仁の半生を辿る映画に没入する上で非常に素晴らしかったと思う。

 話がそれた。今回はこのアイスランドの荒涼とした高原を舞台に羊飼いの夫婦を襲う奇妙な出来事の映画について、だらだらと書いていきたい。

話はわかりやすい

 ストーリーだけを超ざっくりと言ってしまえば因果応報である、と筆者は感じた。主人公夫婦は結果としては罪を犯し、その報いを受けることになる。この映画は1,2,3章と分割した場面で構成されており、時系列が切り替わるごとにそれが示されるのでそこで混乱することはない。まああくまで大筋を意図して大雑把に切り抜いたうえで圧縮した言い様であるから、これが適切な要約だとは思わない。しかし、おそらくだがこの映画が重きを置いているところはストーリーではないと思うので、それはこの際気にしない。

じゃあ重点が置かれているのは?

 そしてこの映画の重要な役割を担う夫婦が子供として育てるなにかとは、まあ大体察しもつくであろうからネタバレするが、半人半羊のクリーチャーである。おそらくだがこの子(アダと名付けられる)の家族模様がこの映画の描きたかったものであろう。ビジュアルは頭と右腕のみを完全に羊とし、それ以外は人間の幼児そのままで二本足で立って歩くという奇怪なものであり、言葉を選ばずに言えば不気味極まりない。実際に途中から登場するキャラクターはこれを気味悪がり、排除すらしようとする。しかし、最終的にはこれを認め、家族のように接するようになる。

 まあ、いかに見た目がかなり衝撃的とはいえ、主人公家族と一緒に遊んだり、お風呂に入ってる姿はなるほどカワイイようにも見えて…いや…うーん…。

 いやシュールだなやっぱり。とくに蹄の右手とヒトの左手で食卓にお皿を運んできたときとか不気味以外の何物でもなかった。

 上の感想は筆者の感想であるのでさておくとして、少なくとも主人公家族は彼(彼女?)を実子のように可愛がる。そのシュールな家族模様はこの映画の描きたかったモノのうち大きな比重を占めるのではないだろうか。

その一方で

 難癖をつけるが、その家族模様にしてもなんだかずっと不穏だ。夫婦がアダを愛しているように描かれてはいるが、どうもこの夫婦は過去に同じ「アダ」という名前実の娘を亡くしているようであり、それを特に妻の方は引きずっているような描写があった。夫もそれを察してこの「アダ(羊のほう)」を子供として受け入れたようにも見える。当然人間である夫婦が自らの子として育てるのであるから、人間としての扱いしか受けないのもちょっと気になった。草を食べそうになる場面があるがそれは引きはがしたし、また仲良く手をつなぐシーンにしても基本的に人間の手である左手側である。まあ蹄よりつなぎやすいだろうと言われたらそれはそうだが。

 そもそも、この羊アダを家族として迎えるにあたって、姿かたちはどうあれ自らの子と認識しそれを取り戻そうとした母羊、これを妻は撃ち殺している。アダを人間の子として扱うなら、いやたとえ羊の子であっても非道の誹りは免れない行いである。端的に言ってしまえば親を殺して子供を誘拐したということなのだから。そしてそれはアダどころか夫にすら秘匿されている。

 そんなところがどうも引っかかり、愛情深く見える家族団欒も歪なモノに感じられ、劇中にて評されたように、「お人形遊び」なのでは?という疑念はどうしても消えなかった。そして、そうして夫妻が結局羊のアダを通して過去の実子を見ていたからこそ、後述するラストの羊男が夫を殺しアダを連れて帰るという報いにつながるのではと考えるとしっくりくるというのもある。

最後の謎

最後の謎、というより最後まで謎だったのがこのアダを半人半羊として生まれさせ(明示されてはいないがそう考えるのが一番納得いく)、そして最後には夫婦の下より連れ去った(連れ戻した?)羊頭のマッチョである。結局これに関してはとくに謎が明かされることもなく、謎のまま終わった。鑑賞当時羊頭といえば悪魔であると勘違い(正確には山羊)していた筆者はどんな呪わしい結末が待ち受けているのか戦々恐々であったが、その逞しい肉体に猟銃を引っ提げてたもんだからちょっと笑ってしまったが、そのままフェードアウトしてくと笑いも引っ込んだ。

宗教映画?

 ぶっちゃけるとちっとばかし宗教の香りがする。ご多分に漏れずごった煮水割り宗教観で生きてきた罰当たり日本人であるところの筆者としては鼻につくな、と感じる程度には。決して映画の主軸ではないと思うが、それのモチーフが随所にちりばめられている。まずもって主役が羊飼い、さらに名前はマリアである。夫婦に言わせれば神からの授かりもの、ということであの羊人。マリアの処女受胎?(かといって今作のマリアが無原罪かというとそんなことはないと思うが)宗教とか神話の要素はある種完成されているというか、分解するとそれの要素が濃くなる映画はままあると思うが、分解せずとも感じさせられるとなんかこう、気になる。「ザ・ウォーカー」ほどはうんざりしなかったけど。

 主人公夫妻が経緯や自覚はどうあれ、親を殺して子を奪うという大罪を犯し、それに相応しい報い、まったく同じ仕打ちを受ける…という筋書きなのがそう感じさせるのだろうか。

結局?

この映画は終始不気味で重苦しいが、ホラー? スリラー? そのどちらにも分類しがたい。カンヌの「ある視点」賞とは

あらゆる種類のヴィジョンやスタイルをもつ、「独自で特異な」作品群(Wikipedia)

であるというが、なるほど確かに独自で特異だ。それほど多く映画は見ていないが、これまでに見たどんな映画とも異なる雰囲気の作品であると断言できる。奇妙で不気味、でもどこかに愛を感じなくもない(個人的にはナシより)作品。普段とは一風変わった、ちょっと肌寒くなってきた季節にしてみる不気味な映画体験にはなかなかよかったかもしれない。たまにはあまり見ないジャンルの映画も見てみるものだ。